双六の歴史

■絵双六の誕生

絵双六の最初のものは、天台宗の新米の僧に仏法の名目を遊びながら学ばせるために考案された仏法双六だと思われます。 「名目双六」とも言います。墨版で、絵は描かれていません。
この仏法双六は、13世紀後半頃から用いられたのではないかと言われています。

そして、江戸時代に入り、絵双六が成立するに至って、全国の津々浦々まで普及することになります。

浄土双六は、宝永の頃が最盛期で、正徳には、衰退し始め、化政の頃には殆ど姿を消しました。浄土双六は、中国の選仏画を基盤として考案された勧善懲悪の双六で、上りは極楽浄土です。
面白いのは、「永沈(やうちん)の存在と機能です。「永沈」とは永久に沈むことで、絶望のことです。ここにコマが止まれば、即ゲーム資格がなくなります。後世、双六の「1回休み」の原形に当たります。この浄土双六により絵双六が確立し、一気に庶民化、多様化していきます。

これに拍車をかけたのが、当時世界一の多色刷木版技術つまり浮世絵技法で、ハード・ソフト両方の革新によって、役者・道中・名所・遊芸・武勇・庭訓・合戦等多くの双六のバリエーションが開発されました。

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