新板世界最強双六蒐集家飛廻取材寿語録

■ 写楽の双六はあるか?

筆者の従前からの疑問に「果たして写楽は双六を描いたのか?」というものがあります。 この疑問を先生にぶつけてみました。

「うーん。その可能性はないでしょうねえ。双六を描いたという話しも聞いたことがありません。もちろん現存する写楽の144枚の浮世絵には双六はありません。」

・・・残念ながらこのうようなお答えでした。ところで、5月18日のテレビ東京「美の巨人たち」"東洲斎写楽の魅力に迫る!"という番組で、写楽の浮世絵を70数年かけて復刻したアダチ版画研究所の二代目所長の安達似乍牟氏がこのように話していました。

「浮世絵師も彫師も刷師も版元も大変貧乏だった。役者絵が一発でも当たればいいが、1枚がかけ蕎麦一杯と同じような値段の浮世絵は、儲かる商売ではなく、本当に生きていくのがギリギリで、いわばその日暮らしだったのです。写楽が消えたのも、デフォルメのきつい絵が江戸庶民に飽きられたということでしょうか」。

 このインタビューは大変興味深いものでした。広重や豊国など浮世絵師の多くは双六を描いています。これはどういうことでしょうか。私はこう思います。当たり外れの多い役者絵(ブロマイド)などの浮世絵事業のリスクの高さに困っていた版元は、正月の定番ものとして、あるいは、ちょっとした知識人の読み物として、絵双六を捉えたのではないでしょうか。つまり浮世絵事業の安定化として絵双六市場に注目し、その結果、多くの絵双六が作られたのではないでしょうか。

 明治以降、浮世絵は衰退しますが、絵双六という分野は今日に至るまで連綿と続いています。これは、江戸の版元のマーケティングは正しかったということです。ちょっと強引な仮説かもしれませんが。


歌川豊国が描いた「鳥尽初音寿語六」の袋絵

このコーナーのトップ前へ次へ


Copyright(c)2000 TSUKIJI SUGOROKUKAN