『日本アルプス征服 競争盤』双六(1928)に見る「屏風連峰」表記について

ー昭和初期の信濃側から見た後立山連峰の呼称ー

築地双六館DBに収録されているtkjSG171-1_1『日本アルプス征服 競争盤』  (昭和3年〈1928〉、講談社『少年倶楽部』8月号付録)では、現在「後立山連峰」と呼ばれる山並みが、「屏風連峰」 と明記されていることが確認できます。この双六は、少年倶楽部編集局の企画によるもので、挿絵は当時の人気挿絵画家・吉川正一が担当しました。

『日本アルプス征服 競争盤』

■ 史料としての意義

「屏風連峰」という名称は、後立山連峰の別称としてはほとんど文献に残らず、現存する印刷例として本資料は最古級と考えられます。本双六には、槍ヶ岳・穂高岳・針ノ木峠・黒部駕籠渡し・一ノ俣小屋(現存せず)など、戦前登山史の重要地点が多数描かれており、昭和初期の登山文化を可視化する“地図的資料”としても価値があります。

■ 後立山という名称の背景

山脈名としての「後立山(連峰)」が確立するのは、明治〜昭和初期の近代登山期です。一方で、江戸時代の地誌には「加賀藩史料に後立山が出る」という情報があり、越中・加賀側からの古い呼称として存在していた可能性があります。1917年(大正6年)に木暮理太郎が『山岳』誌で発表した論文では、「後立山は越中の称呼である」、「後立山という名は夙くから地誌地図等に記載され、一個の山体として扱われていたらしい」  と述べられ、名称の歴史的背景が整理されています。

今回確認した「屏風連峰」は、資料や写真の照合から、「屏風連峰」の向こう側(上側)に位置する信濃側(大町・白馬側)から見た山並みの形状に基づく地域的呼称ではないかと思われます。

■ 資料画像・展示パネル

資料①:『日本アルプス征服 競争盤』の該当部分(「屏風連峰」表記)(PDF)

資料②:双六と現在の後立山連峰の写真を組み合わせた比較パネル

大町市平から望む後立連峰は、巨大な屏風のように見える。1928年の「日本アルプス征服 競争盤」では、この山並みが「屏風連峰」と表記されており、信濃側からの視点を反映した最古の印刷物と考えられる。

■ 後立山連峰の概要

後立山連峰は、白馬岳から針ノ木岳・爺ヶ岳へ南北に連なる北アルプスの名峰群。雪渓・高山植物・鋭い稜線が織り成す雄大な景観で知られ、古くから登山者を魅了してきた山域です。

最後に筆者(登山歴50年)より一句。

信濃路や 春田にのぞむ 屏風の峰々