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               ■読み下し文 
               
              ヲイ、三吉や、弁当のおかづは  
                なんだ。ナニにまめ 
                だはたじやあるめへし。 
                そんなものが一ト 
                粒づつ拾はれるものか。 
                おれらなんざ、年中、肴 
                ばかりよ。  
                その代はり、名前を 
                食ふと、歯虫か立つつ 
                てならねへから、この  
                ごろは、すゑとした 
                のヨ。ナニすりゑか  
                これ見やなとの  
                きんざんじのことサ。  
              
              ▲△○→段落の繋がり方を示す記号 
                *→判別できない文字  
              ■大江戸瓦版■ 
                 江戸就職事情について 
                 
               
              江戸時代の日本全体の職業人口は武士:農民:商人=10:81:9だったという。職業選択の自由はなく、求人求職活動は江戸・浪速等の大都市が中心であった。 
              江戸時代初期には「桂庵」(=大和桂庵が金品をとって婚姻や職を斡旋したいたことに由来)と呼ばれる口入屋(人材斡旋事業)がすでに存在していた。求職者は、口入屋の紹介札をもらって雇い主を訪ね、面接を受けた。 
              口入屋は求職者の保証人としての機能も果たしていたので、求人者は、安心して雇い入れができたようだ。給料は相対決めで契約した。 
              女性は、仲居、住込み、めかけ、遊女などで、男性は下男、人足、日雇取りなどの力仕事が多かった。 
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